小野住建創業者・小野昭文の次男、小野裕之(ひろゆき)です。1984年生まれで、生まれも育ちも平川市です。
父は、大工出身の工務店社長として、施工の腕をベースにしつつ、出稼ぎ先の首都圏で、設計を学び、ハウスメーカーの現場で最新の仕様、デザイン、施工を学び、新住協で高断熱高気密住宅を学び、社内の大工と実践することで、小野住建の家は暖かい、デザインも良いと評価される工務店を作ってきました。
子どもの頃は、父は大工で、私はアルバイトのような感じで住宅現場で物を運んだりといった手伝いをしたことがあります。
父が酔っぱらった時に、子どもだった私に「お前、大工やらないか?」と聞いてきたことは覚えています。でも自分は映画制作の世界に興味があって、映像系の大学に進学しました。
でも映画は見るのと創るのでは大違い。自分に適性がないと感じ、建築系の専門学校と大学に移りました。自分なりに、父と同じく住宅建築の道に行くべきだとは思っていたんです。現代建築よりも、近代建築に興味を持ち、そのあたりの住宅系の書籍を読んだりしていました。今でも本棚から引っ張り出して読み直すこともあります。
その後、京都で本格注文住宅などを設計する設計事務所に入社し基礎的なことを学びました。その後、弘前の設計事務所に移籍し3年以上働きました。京都で二級建築士、弘前で一級建築士を取得しました。住宅以外の建築物などの図面、パース、模型なども作りました。
なお、弘前は京都に似て、近代建築にも名作が多く、日本における近代建築の巨匠・前川國男氏が設計した弘前市役所庁舎などが現在も使われています。
住宅設計に対する市民の理解も深く、設計事務所に在籍している間は、地元弘前・平川エリアの暮らしと文化を再発見するきっかけとなりました。
例えば1200年以上の歴史を重ねる猿賀神社(平川市)は弊社にとって地元の氏神様です。
和洋を調和した国指定名勝・盛美園も私たちの地元にはあります。こういった歴史と今の暮らしはどこかでつながっているはず。そんな気持ちで住宅デザインを考えるようになりました。
そして29歳、2015年に小野住建に戻ってきました。設計事務所では、意匠面を重視した設計などが多かったのですが、小野住建はあくまでお客様のご要望を第1にしたデザイン、性能、価格、耐久性、住み心地や生活動線などをしっかり考えた快適な住まいづくりなので、だいぶ勝手が違います。
戻った当初は、新住協の書籍にも目を通しましたが、読むだけではわからないこともありました。経験・実力不足を実感しました。高断熱高気密住宅の技術について詳しく知るために、新住協かの勉強会に参加し、鎌田先生の解説や諸先輩工務店の皆様の解説も何度も聞きました。
このご縁が重なり、蓬田村の森の風工房さん、青森の林工務店さんなど、2代目工務店の皆様に設計・技術面のみならず、2代目の目線で様々なアドバイスをいただいています。
高断熱高気密の設計・技術と、身に着けた設計事務所のデザインに関するノウハウは活かしつつも、1棟1棟、丁寧にお客様の要望を踏まえたプランニングに徹しようと考えています。現在は当社への家づくりのお問合せは父を指名される方以外は私が打合せから設計、施工管理まで担当させていただいております。
小野住建には5人の社員大工もいますし、施工力の面では充実しています。20代から60代まで各年代1人ずつ大工がいるバランスの良い状況です。
まず、小野住建に入ってすぐ、現場で大工さんたちと働きました。短い期間でしたが、設計者が書いた図面次第では、現場の安全性、施工性、細かい収まりなどで大工さんたちは大変苦労したり、場合によっては安全性の面でリスクが生まれたりするというのは、設計事務所ではあまり気づけない点でした。
材料の重さ、作業手順、収まりなど、大工さんと設計者は視点も、作業内容も大いに違うので、大工さん側の事情が少し理解できたのは大きな学びでした。
小野住建は毎朝、工事開始前のミーティングを欠かしません。段取りの打合せとコミュニケーションの両面を重視しているからです。
なお、現在私は、お客様対応、設計、見積、工程管理などを担当しています。小野設計事務所の設計担当でもあり、小野住建の社員でもあります。工事管理は、大工の林さんを中心に若手の大工さんたちに各現場の先立ちの役割をに担ってもらっており、今後は私はできるだけ、設計やお客様対応などのウエイトを増やしていこうと思っています。
小野住建の強み
- 1 | 大工出身社長が大工育成を徹底
- 2 | 高断熱高気密で省エネ住宅づくり
- 3 | 無垢材、自然素材で造作の提案
- 4 | 地域密着の工務店経営
- 5 | 2代目 小野裕之の家づくりとは?
- 6 | 小野住建のこれからの家づくり